創作

遺子(イコ)


珍しく生ぬるい夜に其れは来た。
最初は静かに、トォン、…トォン、と。
午前三時を回った。
夜更かしも、自分には珍しい事では無いが、こんな夜半に。
果たしてまともな人間が訪ねて来るだろうか。
だが、自分の無愛想に構わず、段々と忙しなく、無遠慮に。
どん、どんどん、どん
この事務所は建付けがあまりよろしく無い。借家でも有る。
ソッと警棒を袖に隠し、扉を開ける。
其れでも腕に力を込めて、成るべく戸の開かぬ様に、喩えば瘡蓋を剥す時の様に慎重に。
商売柄、頭に血のきた人間と接する事が多い。
腹の傷も其れだ。
用心に越したことは無い。「臆病者。」が何するものぞ。
「何方様。」
隙間からぎょろりと覗かせ外を見る。
誰も居らんでは無いか。
この十月にも蚊燻は入用か。
きぃきぃと…耳に纏わりつくような…細い音がする。
「此処で御座います。」
不意とはこの事か!
明らかに下方から声がする。
臍の辺りであろうか、かの様に小さきものとは!
「名の在る探偵様と御訊きして参りました。僕のお願いを訊いて下さいませ…。」
蚊の鳴く様な其の声も哀れならば、身なりも不憫な少年では無いか!
この丑三つ時の訪問者は、誰が其れを思ったであろう。
黒い布を被り体中を泥塗れにした、九つ、十程の年端も行かぬ、少年であった。
「僕の、お願いを…。」
飛び来る嗚咽を堪えながら、やっとといった音色で声を震わせる当人は、細い細い膝をした子供であったのだ。
何の所業を抱えていると云うのか。
何にしても、是以上の苦を与えてはあんまり酷と云うもの。
「お願いとやらは、部屋で訊こう。中へお入り。」
小さく頷き、何度も、罰を受けているかの様な「御免なさい」を呪詛の様に繰り返し、
今にも折れそうな白い足で少しずつ事務所へ入っていく。
子供が長椅子に腰を掛ける所までを見届け、扉を閉める。
「一体如何したと云うのかね。この様な夜更けに。キット親御さんは心配為さっている。」
そう云うと、ガバとこうべを上げ少年は涙の溜まった目を見開いた。
「其れなのです!僕のお願い、僕のお母様を探して下さいませ!」
布から顔が見えると、其れは、蒼白い肌を掲げ、硝子玉の青い瞳を持った、異人の児であった。


「僕の、お母様を探して下さいませ!」